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モロッコ一人旅

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ミデルト→エルフード→リッサニ→シェビ砂丘

 朝起きて窓を開けるととても寒かった。ホテルの庭に出ると草に霜が降りて真っ白になっていた。朝食を済ましてチェック アウト。ホテルの前は15〜16台の車でいっぱいになっていた。私の車以外2台を除いて全て四駆のトラックだった。このときはまだ その理由が分からなかった。車に乗り込むとフロントガラスが氷に覆われていて前が見えない。ウォッシャー液をだしたら余計 凍ってしまった。すると門の前に立っていたとんがり帽子付きマントの男が私の車のフロントガラスにペットボトルで水を掛けよう としたので駄目といったが遅かった。しかしそれはお湯だったようで直ぐに氷は融けて無くなった。私は礼を言ってチップに2MAD 渡した。

 ミデルトから先は植物が少なく岩だらけの荒涼とした景色で、地平線まで真っ直ぐに続く道の景色は少しアメリカ西部に 雰囲気が似ていた。所々道端に石が積んであってその上にペットボトルが置いてあった。景色が良い所には何故か羊の群れと羊飼い がいて車を止めると近寄ってくる。そして写真を撮ると人が走り寄ってくる。道端にいたラクダを撮ったら飼い主からお金を払え と言われた話を読んだのを思い出し、きっとお金を払えと言うのだろうと思い窓を閉めて直ぐに走り出す。ある所では原っぱに 張ってあった遊牧民のテントの写真を撮ったら横にいた男が全速力でこっちに向かって走り出した。私の車が走り出すとそ男は 直ぐに諦めてテントに向かってトボトボと歩き出した。諦めは結構早いようだ。

 シス渓谷は山を割るように川が流れていてその川沿いを国道が走る。景色はまるでアメリカのグランドキャニオンの中を車で ドライブしているようだった。グランドキャニオンと違うのは川原にパームツリーが沢山はえていている事。途中岩をくり抜いた だけのトンネルがあった。その手前に景色の良い展望台があったので写真を撮っていると背後に人の気配を感じた。驚いて振り向く と緑色の制服を着た軍人らしき人が立っていた。トンネルの入り口脇に詰め所のような小屋がありどうやらそこで番をしている人 らしい。私が立ち去るまでずっとじろじろと見ていた。トンネルを抜けると反対側にも二人ほど銃を持った見張り番がいた。

 シス渓谷の川沿いの道を暫く走ると視界が開け大きな湖が見えた。湖の向こう側がAr-Rachidiaの町。湖のリゾート地のためか 田舎の割りに小奇麗な町だった。町を抜けるとアトラス山脈を背に地平線に向かって真っ直ぐ道が伸びていた。何も無い岩漠の 道端の所々に頭を赤く塗ったコンクリートの道標がポツンと立っていた。真っ直ぐだった道がカーブを描きそのカーブを通り過ぎ る時、カーブの内側の方にパームツリーに埋め尽くされた緑の谷が見えた。緑の中にカスバが建っておりいかにもモロッコらしい 景色だったので車を止めて写真を撮った。

 平地を走っていた道路が平地を浸食した谷に当たり、道路は谷へ下りてゆき川沿いに走りだした。パームツリーの中を暫く 走るとエルフードの町に着いた。道路はそのまま町の目抜き通りとなり町を貫通して次の町へと続いていた。エルフードは道端に ガソリンスタンドやレストランが並び人も沢山歩いていてちょっとした町だった。給油をして一休みしたかったのだが、なんとなく 雰囲気が悪かったので次の町まで行くことにした。

 エルフードからリッサニは直ぐだった。町の手前の道路沿いにシェルのスタンドがあったのでそこで給油。気のいい黒人の お兄さんに給油をしてもらい、危なそうなエルフードではなくここまで来て正解だと思った。スタンドを出て直ぐにリッサニの 町の門が建っていた。門を過ぎるとホコリまみれの小さな田舎町があった。突き当たりを左に行かなければならないところを間違えて 右に行くと町の中心らしき場所に迷い込んでしまった。するとスクーターに乗った男が近寄ってきて道案内をしようとする。それに 乗ったら幾らお金を請求されるかわからないと思い無視して立ち去った。ワンブロックを一周すると町の入り口に戻り、今度は 突き当たりの左に曲がった。汚い町を通り抜けるとメルズーガの標識があった。ところが暫くすると道は小さな広場で行き止まりに なっていた。広場で遊んでいた子供たちが「Merzouga, Si?」と言いながら駆け寄ってきたので、身動きが取れなくなる前に車を 方向転換してすぐに広場を出た。出口には民族衣装を着た男が立っていて、道案内をしようとしてきた。これを振り切って広場の 入り口を出てきた方向と違う方へ曲がった。暫くすると道は段々細くなってきて、ついには田舎の農家の集落のような所へ入って 行き、とても有名な観光地へ繋がる道とは思えなくなったので引き返す事にした。

 もう一度町の入り口の門まで戻って地図の通りに道をなぞっていった。すると先ほどの行き止まりの広場の手前で道が右に カーブしているのだが、カーブする手前に真っ直ぐ伸びる道があった。その道は未舗装で幅も狭く普通に道なりに走ればかならず 広場に行ってしまうようになっていた。しかも標識もなにも無い。試しにその道へ行ってみるとその道は直ぐに普通の舗装道路に なり、その先には写真でみたメルズーガの手前の岩漠が広がっていた。途中道端の看板のMerzougaという文字がスプレーで消され かかっていたのを見た。おそらくリッサニでは町ぐるみでメルズーガを目指す旅行者を道に迷わせて、道案内やホテルの斡旋を してお金を稼いでいるのではないかと思う。

 何も無い乾いた土の上に細かい砂利が敷き詰められたような、砂漠でもなく岩漠ともいえない荒地が360度見渡す限り続いていた。 その中をゆく道なき道をピステという。暫くすると道端にホテルの看板が並んでいた。看板のある当たりから東に向かってピステ が伸びていた。ピステ沿いに数百メートル間隔で白い杭が立っているのが見えた。インターネットで調べたホテルのウェブサイト の地図はとてもアバウトで、平地に杭が並んでいる絵が描かれていた。それを思い出しそのピステを進んでみる事にした。ピステ で道に迷うと危険だという情報を幾つも目にしたので、昔、Bajaの砂漠を旅する時に使ったハイキング用のGPSを持参した。目的の ホテルの地図にGPSの座標が書いてあったので予め入力しておいたので、そこに向かってナビゲーションを開始。最初はピステの 進む方向とGPSの矢印が指す方向が違ったので不安だったが、暫くするとピステの向きが変わりGPSの矢印と同じ向きになった

 ピステは一見平坦に見えるが、細かく波を打ったようになっており、ひどいところでは車がガタガタと振動してしまう。 みな少しでも平らなところ走ろうとするらしく、ピステに並行して何本もタイヤの跡が付いていた。時々こぶし大くらいの石が あるので踏んでタイヤがパンクしないよう、常に路面の状況に注意しながら走らねばならない。四駆なら一気に走れるのだろうが、 私の車は小さな普通車なので、ゆっくりとしか進む事が出来なかった。遠くに見えていた大きな砂丘が次第に近くになり、ふもとに 幾つかカスバがあるのが見えた。そのカスバはみなホテルで、砂丘の際に並ぶように建っていた。メルズーガから砂丘沿いにカスバ を繋ぐようにピステが走っていた。私は何軒か見てまわり結局インターネットで目星をつけていたホテルにいく事にした。

 ホテルの駐車場に車を止めて門をくぐるとプールのあるとても雰囲気の良い中庭があった。中庭の向こう側に受付と思しき カウンターがあった暫くそこでうろうろしていたが一向に人が来る気配が無い。奥へ進むとレストランらしき大きな部屋があり、 その向こうはもう砂丘だった。レストランにいたベルベル人の男の子が係りの人を呼んでくれた。砂漠のテントに一泊するラクダ ツアーについて尋ねると、すでに6人がエントリーしており一緒だが良いかと言われ承諾した。金額は350モロッコディルハム。 夕方4時出発。ホテルに到着したのが午後3時頃だったのでなんとか間に合ってよかった。出発まで時間があったのでカメラを充電 しようと思いコンセントを探していたら、昼間は発電機を動かしていないので電気は使えないとの事。もう一つデジカメを持ってきて 正解だった。

 出発の時間になりホテルの裏に回るとラクダが並んで座っていた。中庭やホテルから砂漠ツアーの参加者が集まってきた。 メンバーはギリシャ系アメリカ人の姉妹二人、カタロニア人のおばさんと若者のカップル、イギリス人の母娘らしき二人と私の 合計7人。最初にイギリス人二人、次にカタロニア人二人が乗り私は5番目のラクダに乗った。ラクダに乗るのは生まれてはじめて。 座ったラクダにまたがり、ラクダが起き上がるときラクダの背中が前に傾くき鞍が股間に当たってとても痛い。しかしそれに耐え ないと前に転がって落ちてしまう。ラクダは先頭から最後尾までロープで繋がっている。ガイドは歩きで先頭のラクダを引っ張り テントのある大砂丘の向こうへ向かった。夕方で日が傾き砂丘の斜面に連なった七頭のラクダの影が映っていた。それを見て私は 月の砂漠を一人で口ずさんだ。夕日が沈みかけた頃、ガイドはラクダを止めてみなを小高い砂丘の上に連れて行った。そこで暫く 休みながら皆で地平線に沈んでいく夕日を眺めた。再び出発してテントへ向かう。日が沈んでも直ぐには暗くならなかった。 ラクダの息遣いを聞きながらパーティーは薄暗い砂漠の中を静かに進んでいった。

 出発して2時間半ほどでテントに到着。真っ暗になる直前くらいだった。テントは遊牧民が暮らすのと同じもので、背丈より 少し高いくらいの棒を柱にして民族模様の厚手の織物を上から掛けてロープを張って作ってあった。テントはキャンプファイヤー をする場所うぃ囲むように四角く並んで張ってあった。入り口にロウソクが立ててあるテントに全員案内され、中に入るとテーブル が置いてあった。荷物を下ろして皆でテーブルを囲んで座り食事が出てくるまでミントティーを飲みながら待つ事になった。誰が 言い出したのか忘れたが、自己紹介が始まった。こういうときの共通語はやはり英語で、私も自分の番に英語で自己紹介をした。 お茶を飲み終わってから食事が出てくるまで暫く時間があったので外へ出てみるとすっかり真っ暗になっていて、空は満天の星空 になっていた。運良く月が出ておらず天頂には天の川がハッキリと見えた。空気が乾燥しているせいか星の数が多く感じられた。 月も街灯も車のライトも無く、懐中電灯を消すと星以外に光る物は何も無い生まれてはじめての経験だった。砂漠の中なので 光だけでなく音も無いと思っていたが、テントの近くに繋がれたラクダたちの息遣いやテントの中で話しをする人たちの声、 隣のテントの音楽など、あちこちから色々な音が聞こえてきて、アメリカの砂漠で経験した自分の息と風の音しか聞こえてこない 静寂を味わう事は出来なかった。

 食事の準備が出来たのでテントに戻った。誰が持ってきたのかテーブルの上に赤ワインが2本置いてあり、いつの間にか酒宴 となっていた。夕食のメニューはモロッコ名物のタジン。富士山のような独特の形をした蓋を開けると土鍋の中に人参、ズッキーニ、 トマトその他の野菜が山盛りになって炊かれていた。下の方には牛の肉の塊があった。スープはシンプルな塩味で良い具合に出汁 が出ていた。食べ方は一緒に出てくる丸く平たいパンを適当な大きさにちぎってそれで鍋の中身をすくって食べる。皆で鍋を食べる 習慣のある日本人には全く違和感が無かったが、アメリカ人とイギリス人は他人と同じ鍋から、しかも手で食べる事に少し戸惑って いたようだ。少し食べておいしいと言っていたが、結局少ししか食べなかった人もいた。タジンの味は私の好きな味だったので、 戸惑っている人を尻目に柔らかく煮込まれた肉の塊を沢山食べてしまった。パンはお腹が膨れるので、出来れば箸でタジンだけ 食べたいくらいだった。

 夕食を食べ終わって用を足しに外に出ると月が出ていた。さっきまで見えていた天の川は姿を消し月明かりで砂丘やテントや ラクダたちの姿が良く見え、足元には自分の影が出来ていた。砂漠で見る月はとても近くに感じられ手が届きそうな気がした。 大昔の人が考えた宇宙の絵でドームの天井に太陽や月が描かれたものを子供の頃に見たことがあった。それを見てなんて馬鹿げて いるんだと思ったが、砂漠でみる月はまるで遠くの黒い壁に引っ掛けてあるがのように近くに見えた。我々のテント以外にも幾つか のテントがあり、どこのツアーもみな同じところでテントを張っているようだ。月明かりに照らされた砂漠を見ようと裏の砂丘に 登るとあちこちのテントから人の話す声が良く聞こえた。きっとラクダと人間以外に音をたてるものが無いからだろう。

 テントに戻ると酒宴が続いていた。英語で話すのが面倒だったのでずっと人の話を聞いていたのが、お前も何か話せと言われ 自分の意見を少し述べた。話題は他愛の無い話でスペインでは昼休みが何時間もあるだのアメリカ人の仕事の話などだった。ガイド がキャンプファイヤーの準備が出来たというので皆で外に出て焚き火を囲みながら話を続けた。スペインでは日本のアニメが人気 だそうで、カタロニア人のおばさんの父親はドラゴンボールが始まると真剣になって見入り、彼女が話しかけると黙れと言われる らしい。そしてカタロニア人の男の子は「俺はドラゴンボールから大切な事を沢山学んだ」と言い出した。隣に座っていたガイドが 私に向かって日本の歌を知っていると言い出した。そして「ポッポッポ、ハトポッポ」と歌いだした。以前ツアーに参加した日本人 に教わったらしい。そこで私は「もっと砂漠らしい歌を教えてあげる」と言って、月の砂漠を歌った。砂漠という言葉を知っていた らしく反応したが、彼にとって覚えにくいメロディーと歌詞だったようで途中で覚えるのをやめてしまった。

 薪が無くなり就寝となった。6人ぐらい寝れる大きさのテントがグループに一つ割り当てられ、私にも一つあてがわれた。 テントの中にはマットレスと枕と毛布が3枚用意されていた。枕元にローソクが一本灯してあったので、私はマットレスにうつぶせに なってノートを広げてローソクの明かりで日記を書いた。生まれて初めてローソクの明かりでノートに字を書いた。それだけでも なんだか面白い。そして色んな事を考えた。今回の旅は最初にマドリッドに入ってジブラルタル海峡を船で渡って来て正解だと思った。 こんな所に簡単に来れてしまったら面白さも半減してしまうだろう。たどり着くまでに大変なところだからこそ感動も一入である。 日記を書き終えてロウソクを消して入り口を開けたまま夜空を見ながら寝た。最初毛布2枚で寝たが朝の4時に寒さで目が覚め3枚にして 入り口の布も閉めて寝なおした。テントの屋根は布なので月が透けて見えた。夜中に何度か目が覚めた時、月の角度で大体の時間が 分かった。月明かりで見る砂漠の景色はとても幻想的だったが、私は月の無い天の川が見える星空のほうが好きだ。満天の星空を 見ているとまるで宇宙船に乗って銀河の中を飛んでいるような気持ちになれる。町はとんがり帽子のフードがついたマント着た人が 歩く惑星タトウィーンの町みたいだし、夜空は宇宙船からみる景色みたいだし。モロッコはまさにスターウォーズの世界だ。

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