2008年11月15日、朝6時に起きて7時にチェックアウト。まだ暗いうちにアトーチャ駅に向かう。切符を買う場所や方法を知ら
ないので早めに行っておこうと思ったのだが入り口のドアが閉まっていた。ドアに張ってあるステッカーをみると朝8時からとなって
いた。8時40分の列車の乗るのに8時では間に合わないかもしれないと不安になり、他の入り口を探そうと来た道を戻ると白人女性の
旅行者とすれ違った。彼女がどうするか見ていると駅舎の脇から裏の方へ歩いていった。その奥の方に明るい場所があったので後か
ら行ってみると入り口がありドアを押すと中に入れた。案内所があったので切符の買い方を聞くとチケットカウンターの場所を教えて
くれた。カウンターには窓口が沢山あり銀行のような整理券の機械がおいてあった。待っている人がいなかったので整理券を取らず
に直接窓口へ行った。最初にクレジットカードが使えるか聞くとOKだった。
出発まで1時間ほどあったので朝食を取る事にした。アトーチャ駅の大きなアトリウムにあるレストランはまだ開店していな
かった。空港のような金属探知機のあるセキュリティーの内側へ入るとカフェや売店が開いていた。カフェのカウンターのケースに
ハムとチーズを挟んだサンドイッチがあった。サンドイッチは良く見るとハム、サラミ、生ハム、の3種類があり、壁のメニューを
見るとIbericoと書いてあったので、生ハムはきっとイベリコ豚だろうと思い買ってみた。一緒にコーヒーを飲もうと"Un cafe"と
言ったら店員がスペイン語で捲くし立ててきた。何を言っているのか判らず"I'm sorry"と言うと、隣に立っていた白人女性が「
ミルクはいるか?」と英語で通訳をしてくれた。店員に対して反射的にYesといってから直ぐにSiと言い直し、その女性にもThank you
とお礼を言った。イベリコ豚の生ハムサンドイッチはとても美味しかった。コーヒーも安ものだったがヨーロッパっぽい風味がして
とても満足。出発の時間となりプラットホームへ。ホームへ降りるエスカレーターからは大きなターミナル駅の中が見渡せ沢山の
列車が並んでいた。列車の外観はいかにもヨーロッパという感じのデザインだが内装の質は低く中国の古い特急と同じレベル。
清潔なだけ中国より少しマシという感じ。車内前方の天井にモニターが1台あり走行中江映画やドラマを上映していた。
8時40分マドリッド発アルヘシラス行き。出発して30分ほどすると係りがちょっと大きめのマッチ箱のようなものを配りだした。
開けてみると中にイヤホンが入っていた。飛行機のように各席にジャックがあり映画の音声を聞く事が出来るようになっていた。
さっそく挿してみるが音が聞こえない。ボリュームのスイッチが壊れていた。チャンネルのスイッチも少し壊れていた。ようやく
左だけ聞こえるようになった。ジャックの押さえ方でたまに右も聞こえた。どうやら断線しているようだった。列車はスペインの
田園風景のなかを走り続けた。隣の車両がカフェテリアだったので暇つぶしにコーヒーを飲みに行った。コーヒーを飲み終わって
からも暫くカフェテリアの窓から外の景色を眺めていた。
14時05分アルヘシラス到着。列車を降りて徒歩でフェリー乗り場へ向かう。駅前のロータリーから港の方面へ向かう道を左手
に繁華街らしきエリアを見ながら道なりに進むと港の手前のロータリー近くへ出る。町の景色の写真を撮っていると一人の男が
近寄ってきた。私が港へ向かって歩き出すと足早に近寄ってきて声を掛けてきた。フェリーの切符を売ろうとしているようだったが
無視してそのまま港へ向かって歩いていると男は諦めて帰っていった。フェリーターミナルの入り口手前にエージェントの窓口が
ならぶ場所があった。カウンターの前を何度か往復したあと、雰囲気で選んだ3つの窓口でそれぞれ一番早い出発時間とタンジール
までの切符の値段を聞いた。値段は何処も同じだったが他のエージェントが4時の便だったのに一つだけ3時の便を売っていた。
少しでも早い方がいいので3時の便の切符を購入し出発ターミナルに向かった。
エスカレータで2階の出発ロビーへ。Check inと書かれたカウンターに一人だけ人がいた。そこで切符を出すとボーディングパス
を発行してくれる。それを持ってセキュリティーチェックらしき場所に行くとまだ係りが来ていなかった。3時近くなってもまだ開か
い。モニターを見ると3時の便のステータスがBoardingとなっていた。入り口近くへ行くとオバちゃんが「もう少し待って」という。
ボーディングパスを発行してくれた窓口にあそこでいいのかと聞くと。もう少ししたら税関の担当が来て出国が始まるからもう少し
待ってと言われた。漸く係りが来て入り口が開いた。セキュリティーチェックは無くパスポートの確認のみだった。アフリカから来た
らしき人はやたらとチェックが厳しく時間がかかったが、ヨーロッパ人や私はちょっとパスポートを見ただけだった。
結局3時30分頃にフェリーは出発した。のんびり旅をするつもりだったが、今日だけは次に乗る列車の時間が決まっていて
それを逃すと日程がまる1日潰れてしまうので出来るだけ早くタンジールに着きたかったので、このルーズさにちょっとストレスを
感じてしまった。フェリーでは客席の横にあった柱にスーツケースとバックパックをワイヤーロックで結んで、カメラだけを持って
デッキを歩き回って写真を撮った。デッキに出るとすぐ目の前にジブラルタル半島が見えた。前の方を見るとアフリカの陸地が
見えていた。反対側へ行くと左右にスペインとアフリカの両方が見えていた。
ガイドブックによればフェリーに乗ると直ぐに放送があってカスタムの手続きがあるとの事。しかし、いつまでたっても放送
は無いしどこかで手続きをしている様子も無い。船内を歩き回っていると「下船前にかならず此処でパスポートにスタンプを貰う事」
と書かれたステッカーの下に小さな閉じた窓が有るのを見つけた。時々その前を通ってみたがいつまでたっても開く様子が無い。
もう直ぐ到着だというのにまだ開かないので、向かいの免税店の店員に「あそこはいつ開くのか?」と聞くと、彼女はスペイン語
しか話せないようで、ゼスチャー交じりで「もう少しすると係官が来てスタンプを押す音が始まるよ」と教えてくれた。
5時30分頃、船がタンジールの港の岸壁に接岸すると漸く税関の係りが来てパスポートのチェックを始めた。一人しかいない
係りの周りには我勝ちに集まった乗客で人垣が出来ていた。皆手に手にパスポートを何冊も持って一生懸命税関の担当の前に差し
出していた。船の係りが列を作れと何回が言ったが誰も従わずみな税関の担当者に少しでも近づこうとしておしくら饅頭状態だった。
おしくら饅頭をしている人たち、その後ろで順番を待っている人たち、そしてカフェてりあの椅子に座って待っている人たちがいた。
私はおしくら饅頭が終わったら椅子に座っている人たちよりは先に出ようと、人垣の後ろで順番を待っていたが、一人、また一人と
減って行き、あと10人弱になったとき、気がつくと椅子に座っていたイスラム系の老人や子供たちがいなくなっていた。どうやら
彼らの分もお父ちゃんが人垣を越えてパスポートを渡してスタンプを貰っていたようだ。手続きの様子を見ていると何度も出しては
突き返されているようだった。ある人は私が見ている間に少なくとも3回は返されていた。私がパスポートを出すとちょっと見た
だけで直ぐにスタンプを押してくれた。結局接岸してからパスポートのチェックを済まして下船するまで2時間近くかかった。
桟橋の出口になぜか金属探知機があった。出口にいたオヤジが時計を直せと親切に教えてくれた。礼を言うと、どこから来た?
タクシーは?両替は?と言い出したので無視して歩き出した。暫くすると道端に両替屋が3軒並んでいた。他に無さそだったので
そこで替えたかったが、前に浮浪者のような男が二人何をするでもなく立っていたので暫く様子を見た。少し離れた隙をみて3軒の
うち真ん中の店が一番率が良かったのでそこで8万円両替をした。モロッコディルハムの現金と明細を受け取ったが、とても緊張して
いて金額を確認する余裕が全く無かった。直ぐにその場を離れ歩きながら金額を暗算したが、お札を出して枚数を数える訳にも行か
ないので後でホテルで確認する事にした。
保税区の門を出た所にCTMのバス停があり、広場の周りにバーやカフェが並んでいた。土曜の夜だからかどの店も賑わっていた。
広場のベンチに腰を降ろして地図を見たが同考えても駅まで歩くには遠すぎるのでタクシーを拾う事にした。夜の盛り場近くで
なかなかタクシーが拾えない人が歩道に沢山並んでいた。この状況で拾えるだろうかと心配したが、勇気を出してタクシーに向かっ
て指を一本立てると私の前で止まってくれた。窓越しに運転手に「ラガール(駅)?」というとうなずいてくれたので後ろのドアを開けて
乗り込んだ。その後他の人が寄って来ても断っていたので、このまま駅まで一人で乗れるのかと思ったら、知り合いだったのか
タクシーの方から近寄って行き運転手が声を掛けると男が二人乗って来た。海岸通りを東へ行くと正面に駅舎らしき建物が見えた
のでお金を用意。やはりその建物の前で止まったので"Quando questa?"と聞くと"Diez・・・"と言った。後半が聞き取れなかった
のでとりあえず20MAD出すと5MADのおつりをくれた。
19時30分Tanger Ville駅に到着。予定より30分遅れたが一番心配していたFez行きの列車の切符も問題なく購入。Fez到着は
深夜なので駅舎のカフェでジャイロスのようなサンドイッチとフライドポテトとカフェオレで夕食を取った。駅舎は最近新築された
ようで、赤や緑のピカピカに磨かれた御影石で出来ていてとても綺麗だった。食後にトイレへ行くと私が入ると直ぐ後から男の子が
入ってきて何をするでもなくうろうろしていた。これは危ないと思い何もせずに直ぐに外へ出た。ロビーでPCを充電しようと思い
コンセントの近くに座ってPCを出したら不審な人が入れ替わり立ち替わり私の直ぐ近くをじろじろ見ながら通るので、PCは仕舞って
ノートに日記をつける事にした。
出発30分前にホームへのドアが開き改札が始まった。ファーストクラスの車両を探したが綺麗な車両が見つからない。先頭の
方の車両はもっと汚かったので戻って係りに聞くと最初の車両に案内してくれた。車内は6人づつのコンパートメント式で、私は
切符に指定された席に行くと私の席以外は満席になっていた。私の席にバッグが置いてあったのでどけてくれと言うとオバちゃんが
駄目だという。私の席を占拠していたのはアラブ系のオバちゃんと娘とおじいちゃんの3人。向かいの席のモロッコ人男性が私の
切符を見て「確かにこの席だ」というような事を言い彼らの切符を見ると、席の番号は同じだがどうやら2等だったらしくやっと
出て行った。確認してくれた男性は少し英語が話せたのでThank youと礼を言って行き先など少し話しをした。
21時05分タンジール発フェス行きMT便出発。列車の中で暇だったので自分の切符を見ていて座席番号が二つある事に気がついた。
途中で座席を変えなければ行けないということか?良く見ると便名も二つ書かれているようだ。二つの便名の間に"Changement A
: SIDI-KACEM"と書いてある。ガイドブックの地図を開くとTangerからFezへ行く線路がSIDI-KACEMで二股に分かれていて、片方は
Fezへもう一方はカサブランカ経由でマラケシュまで続いている。どう考えてもこれは途中で列車を乗り換えなければならないようだ。
暫くして車掌が検札に回って来て私の切符を見て「途中で乗り換えするんだよ」というような事を言っていたので私はうなずいた。
TangerからFezまでは約5時間。SIDI-KACEMは丁度中間なので11時から12時の間くらいに着まで暫く眠る事にした。しかし、寝過ごして
乗り換えそびれてカサブランカまで行ってしまったらどうしようと思うとなかなか眠れなかった。11時を過ぎても止まる気配が無い
ので廊下へ出て様子を伺っていると、車掌が通ったので何時にSIDI-KASEMに着くか聞くと12時頃との事。私はコンパートメントに
戻って少し休んだ。
暫くすると車内に卵のような匂いがした。外を見るとランプを沢山光らせた石油精製所のような工場の設備が煙突から煙を
吐いていた。その工場の前にある駅で列車は止まった。ドアへ行き外に立っていた車掌に”Fez?”と聞くと駅舎の方を指差して
向こうへ行けと指図をした。私は荷物を持って他の人たちについて別のホームへ向かった。ホームには小さな電光掲示板があり、
FEZ Train 143 Depart 00:44と切符と同じ情報が書かれているのを見てひと安心。Tangerから乗ってきた列車はずっと止まったまま
だった。てっきりTangerから来た列車から幾つか切り離すのかと思っていたがそうでは無いようだ。時間になってもまだ列車は来ない。
00:56になって漸く反対からFez行きの列車がやって来た。どうやらMarrakech行きの列車とここですれ違いをしているようだ。
Fez行きの列車に乗ると茶色い革のジャケットを着た60歳近くと思われる白髪交じりのビジネスマン風モロッコ人と黒っぽい服装の
若いモロッコ人男性の二人が同じコンパートメントに乗っていた。幾つか途中で停車したあと2時過ぎにFezに到着。駅から出て
タクシーやホテルの客引きを何人か振り切りホテルに到着。駅の直ぐ横に宿を取って正解だった。マドリッド同様やはりホテルを
予約していなかったら露頭に迷って客引きのいいカモになっていただろう。ホテルにチェックインし翌日の準備を済ませて寝床に
就いた時、時計は2時30分を回っていた。
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