白い棺の意味
2016.07.05
ダッカのテロで日本人が7名亡くなった事はとても残念です。犠牲者の方々のご冥福を心からお祈りいたします。政府専用機で遺体が帰国し羽田空港で政府要人が白い布に覆われたお棺に黙祷する様子が報道されていました。迅速で良い対応だと思います。しかし、その映像や画像を観ていて心に何か引っかかる物があり、それは何か一日考えていました。

私は米国とメキシコの国境の町サンディエゴで企業の駐在員をしていた事があります。国境沿いには日系を含むたくさんの工場がありますが、トラフィックという映画にもなったようにメキシコからアメリカへ麻薬の密輸が行われる危険な地域でもあります。ある日日系企業の駐在員がメキシコ側で信号待ちしていて銃で撃たれ死亡する事件がありました。その直後に開催された日系企業の集会でみなで黙祷をしました。でも彼の事件は日本ではおそらく報道されていなかったと思います。

テロの犠牲者は政府専用機で遺体が帰国し政府要人に迎えられるのに、なぜあの時メキシコで犠牲になった人は同じような対応を受けなかったのか?それが心に引っかかっていた事だと気がつきました。二つの事例の条件の違いは、JICAの関係者かそうでないか、犯人がテロリストかそうでないかの違いくらいしか見当たりません。ダッカではたまたま犠牲者全員がJICAのプロジェクトの関係者でしたが、もし関係の無い民間人がいたとしてもきっと一緒に帰国した事と思います。という事はテロだからああいう対応になったという事になります。

テロの犠牲者は政府で手厚く対応するがその他の犠牲者には何もしない。もちろん海外の犠牲者全部にあのような対応はできないし不要だ。しかし、なぜテロの犠牲者だけあのように対応するのか?そこには何か意図があるように思えます。
ルビコン川は手前にあった
2016.06.25
1941年の今日6月25日、大本営政府連絡懇談会で南部仏印への進駐が決定しました。この決定で日本は米国との関係において引き返せない点を超えてしまい戦争に至ったと言われていますが、これは一つの通過点で米国はもっと早い時点で日本を戦争に追い込もうと決めていたのではないかと思います。1924年に日本を仮想敵国としたオレンジ計画が米国の陸軍合同会議で採択されており、この計画は1919年に立案されており、太平洋戦争で米国が実施した作戦はほぼこの計画に沿っていたと言われています。アメリカは1920年前後には日本と戦争する事を決めていたのではないかと思います。

仏印とはベトナムとカンボジアの辺りの事で、当時フランスの植民地でした。インドネシアはオランダの植民地でフィリピンはアメリカの植民地でした。現在南シナ海に支那が基地を作り周辺国と領有権の問題が起きていますが、欧米諸国が周辺の国全てを植民地にして資源や農産物を搾取していた事に比べれば、支那による南シナ海の領有権の主張は遥かに小さな問題に思えます。
記念碑文の仕掛け
2016.05.19
オバマ大統領の広島訪問の意味について色々と議論がありますが、この碑文とその前で犠牲者の冥福を祈る大統領の姿を映すだけで十分な気がします。なぜ被害者の日本人が「過ちは繰返しませぬから」と書くのか今まで謎でしたが、もしかすると作者はアメリカ大統領がここに立つ事を想像して書いたのではないかと思います。

アメリカ大統領がその前に立って碑文を読むと、大統領の心の中にこの言葉が顕れるわけです。過ちを認め二度とこんな事はしないという反省の決意の言葉が大統領の心の中に流れるのです。この碑文はいつとも知れない将来アメリカ大統領に原爆投下を反省させるための仕掛けだったのかも知れません。もしそうだとしたら作者の想像力は凄いな。

憲法は誰が作った?
2016.05.02
今日は憲法記念日、発布日でなく施行日を記念日にしたのはGHQが明治天皇の誕生日である天長節を記念日にする事を阻止しようとした為という事は昨年11月に書いた通りです。先日あるテレビ番組の街頭インタビューで憲法とは何か?と尋ねたところ、殆どの人がまともに答えられていませんでした。私も大差有りませんが私なりの理解をここに書きます。

憲法は簡単に言えば法律を作るときに従うルールと言えると思います。法律を作るのは国の権力者なので、権力者が勝手に法律を作れないよう縛るものと言えます。しかし、なんでもできるはずの権力者が縛られると言うのは矛盾するようで腑に落ちない。権力者ではない誰かが権力者を縛るために憲法を作ったのではないかと思います。昔権力を持っていたのは王様でした。王様の平民に対する横暴はよくある話ですが人間が国を作って以来数千年その関係は続いてきました。ところが200年ほど前に憲法が生まれて権力者を縛るようになりました。王様が憲法など望むはずも無く平民がお上に楯突いても得は有りません。では誰がそんなものを作ったか?単なる平民ではなくて且つ王様の横暴の被害を受けたくない人たちによって発明されたと考えると合点が行きます。

紀元前からユダヤ人は迫害を受けてきました。独自の宗教や文化を貫き他と融合しない彼らは特定の居住区に押し込められました。イスラム教もキリスト教も金利を取る銀行業を卑しいと教えていましたが、ユダヤ教は金利を取る事を禁じていなかったのでユダヤ人は生き延びる為に銀行業を営みました。そして各国の王様は戦争の資金をユダヤ人から借りるようになります。借金を返せない王様が借金を棒引きにするためユダヤ人の虐殺が時々発生しました。それはポグロムと呼ばれユダヤ人の多いヨーロッパでは時折発生していました。そんな王様を戒めるために革命が起こされ王様は処刑されました。そして革命の後に権力を握った者が再びユダヤ人に横暴を働かないように発明されたのが憲法なのです。話をかなり端折っているので荒唐無稽に思えるかも知れませんが、これが色々と調べた結果私が辿り着いた結論です。

ルーズベルト大統領はユダヤ人で、彼のブレーンでニューディール政策を推し進めたニューディーラーと呼ばれる人たちもユダヤ人でした。戦後日本で占領政策を担ったGHQの主要メンバーにもニューディーラーがいました。そのユダヤ人が第一次大戦後にドイツを縛るために作ったワイマール憲法を基に日本国憲法が作られました。私は日本国憲法の内容をよく知りませんが、マッカーサーから2週間で作れと言われたGHQのスタッフはワイマール憲法をほぼ丸写ししたという説もあります。明治政府はジャーディンマセソン商会やHSBCなどユダヤ資本の支援で新政府を建てヨーロッパの憲法を真似した。そして今度は直接ユダヤ人がやって来て憲法を作って帰っていった。日本人は真面目なのでいまだにその憲法を大事に掲げている。ちゃんと守っているかは別ですが・・・
アメリカ大統領の広島訪問
2016.04.29
ケネディ大使が広島を訪問した時に私は広島市がアメリカの大統領を招待している事を知り、どういう積りで招待しているのか分かりませんでした。原爆で十数万人の市民を殺しそれを正当だという国の大統領が慰霊碑の前で謝る筈もなく、来たとして何と言うのを期待しているのか?犠牲者へ謝罪の無いまま核無き未来の平和を語れるのか?と思いました。

広島の松井市長はオバマの広島訪問の際に謝罪を求めないと言明したそうです。大統領の広島訪問が現実味を帯びて来た今、私は漸く広島市がアメリカ大統領を招待する意味が少し分かった気がします。アメリカ大統領が慰霊碑の前に立ちさえすれば、大統領の発言内容に関わらず少なくとも一つのケジメをつける事が出来る。大統領の発言はアメリカを貶める事も出来るし、尊敬される事も出来る。どちらに転んでも我々はこれ迄得ることの出来なかった一つの答えを得る事が出来る。オバマの広島訪問を是非見てみたい。

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