ヨウ素ガス拡散
2015.03.14
2011年3月11日、地震発生時に稼働していた福島第1原発の1号機2号機3号機は自動停止。3月12日、1号機の建屋が爆発。3月14日午前、3号機建屋が爆発。3月14日、2号機の圧力が異常上昇、全燃料棒露出、大規模な放射線量上昇が観測される。3月15日、2号機の格納容器圧力が設計値を超え、異常音が発生し圧力抑制室の圧力が低下。
横須賀市には放射線量を観測するモニタリングポストが8ヶ所に設置されており、インターネットで観測データを公開している。原発が爆発した後一つのポストのグラフを見てみてみたら、14日は線が縦軸の上限を突き抜けていた。この日私は仕事の打ち合わせの為に東京まで行った。異常事態でダイヤが乱れた朝のJRはすし詰め状態だった。フランス政府は同胞に自宅の窓の隙間に目張りをして暫く外出しないようにと通達を出していたらしい。横須賀基地の原子力空母は太平洋に避難した。そんな中でも満員電車に乗って働きに行く日本人が沢山いた。私が打ち合わせ現場に到着すると先方からドタキャンの連絡があった。だったら前日にして欲しかった。そうすればこんな高線量の日に出歩かずに済んだのに。
原子炉建屋が爆発する映像は衝撃的だった。これで世界は終わりかとさえ思った。しかし本当は爆発しなかった2号機による汚染が一番ひどかったようだ。このグラフもそれを裏付けている。圧力抑制室が損傷したのは2号機だけで今もそこから汚染水を漏洩している。怖いのはその状況にみんな興味を持たず慣れてしまっている事。しかもこんな状況の中で原発を再稼働させるなど正気の沙汰とは思えない。