大地震は二度来る?
2015.02.14
明応の地震は明応4年(1495年)と明応7年(1498年)の二回有ったという説と、明応4年の記録は明応7年の間違いだという説があるが、二回あったという説を信じれば明応4年の震源は関東近辺で明応7年の震源は東南海地方となっている。それから約200年後の江戸時代1703年の元禄地震の震源は関東で、1707年の宝永地震の震源は紀伊半島沖つまり東南海地方である。元禄地震では東北から関東にかけて津波の被害が広がった。その4年後の宝永地震の被害は甚大で津波は上海まで達したという記録がある。2011年に東日本で地震から4年後の今年、もしかすると311を上回る規模の地震が東南海地方で起きる可能性が有るのでは?と心配です。明応地震では淡水湖だった浜名湖に津波が来て海と繋がったそうです。もし明応や宝永と同じ様に311の数年後にもっと大きな地震が東南海で起きて、津波で浜岡原発が福島原発と同じ様な事故を起こしたら・・・それでも数年後に日本政府は再稼働と言い出すんだろうな。