戦争の記憶
2020.08.15
 シアトルの北、ボーイング・エバレット工場に隣接するペインフィールドと言う空港に、マイクロソフト共同創始者ポールアレン所有のFlying Heritageという私設博物館がある。彼は数年前レイテ島沖海底の戦艦武蔵を撮影するなど、第二次大戦時代の武器にとても興味があるらしく、各国の戦闘機だけでなく、戦車や大砲、V2ミサイルまで私費で買って展示している。日本の戦闘機も零戦と隼の両方あり、驚くべきは展示されている飛行機の殆どが今でも飛べる状態で保存されており、この日もアメリカの大戦機がハンガーの外でエンジンを回していた。

 膨大なコレクションを見終わり売店に繋がる出口に向かうと、そこに日の丸を貼ったフライトスーツの後姿があった。人形に着せてるのでなくただ服が飾ってあるだけなのだが、まるで人が立っている様に見えた。服は傷みも汚れも無いので、子安通一丁目青年団の井口民雄君は無事だったかも知れない。しかし、遠い異国でずっとここに立たされているのかと思ったら涙が出てきて、私は彼の正面に回って手を合わせた。







2年ぶりのフライト
2020.01.26
アリゾナ州チャンドラー空港を出発してフェニックス・スカイハーバー国際空港上空を横切って近道をして北へ向かう



当初ペイジ空港を目指していたが前日から天気が完全なIMCだったので行き先をグランドキャニオン空港に変更、給油後折角なのでグランドキャニオン上空を横切り上空から観光



グランドキャニオンを渡り切った所から東へ向かいモニュメントバレーを目指す。レイクパウウェル周辺は地表を覆い尽くすように雲が張りつめておりペイジもその下になっていた。なぜ砂漠の空港がIMCと不思議だったがこの一面の雲海を見て納得。



モニュメントバレーはギリギリ晴れていたが、今にも雲に飲み込まれそうだった。高度に気を付けながらメサ上空を旋回し写真やビデオを撮って帰投

空自F-35墜落事故の考察
2019.06.16
令和元年6月10日付けで防衛省が発表したF-35墜落事故のお知らせを読んで事故原因について考察してみた

墜落機の状況
・夜間模擬空中戦訓練を終えた1分後高度31,000ft方位180で水平飛行
・管制から高度37,00ft方位220で接近する米軍機を回避するため降下を指示される
・緩やかに左旋回しながら約20秒間で16,000ft降下(降下速度900km/h)
・高度15,500ftで管制から左旋回の指示を受け方位110から数秒で方位360まで急旋回する
・急旋回中に降下速度が900km/hから1,100km/hに増す
・旋回を終えパイロットは落ち着いた声で管制に「訓練中止」と告げ降下を続ける
・15秒後降下速度1,100km/hのまま海面近くでレーダーから消える
・機体異常を伝える交信も脱出を試みた形跡も無し
・管制の指示に従って回避行動を開始してから墜落まで約35間の出来事だった

状況からの推理
・最初の20秒は旋回で下向きのGを感じていたためパイロットは急激な降下率を意識出来なかった
・二度目に管制から左旋回の指示を受けて急旋回し空間識失調に陥った
・最後の15秒は旋回から直進になってふわっと浮いた感じになり急激な降下率を感じとれなかった
・HUDにLEDで投影される表示が明るすぎて邪魔で消していた
・接近する米軍機を視認しようとして計器への注意が少なくなり高度の異常減少に気付かなかった
・自分は北の方角へ水平飛行しているつもりで右上方を通るであろう米軍機を探そうと見張に集中した
・パワーを絞った形跡が無い事から自分はまだ十分な高度にいると誤認していた可能性が有る

知りたい情報
・直前の水平飛行時のエアスピードは時速900Kmくらいだったのか?
・共に訓練していた他の3機の飛行状況と証言
・墜落機が回避しようとした米軍機の航跡
・戦闘機ではドッグファイト以外でも時速1,000Km前後の降下率での急降下は良く有る事なのか?

結語
 原因は二つ考えられる。一つは発表の通り空間識の異常、もう一つは夜間のHUDによる眩惑。そしてその二つが重なった事で事故になったのではないか。空間識について最初に管制から降下の指示をうけて降下したまでは良かったが、次に旋回の指示を受けた際にそのまま急旋回をしてしまった為に空間識失調を起こしたのではないか。急旋回する前に一旦レベルオフ(水平飛行に戻す)してから旋回すればもしかしたら事故は避けられたかも知れない。あるいは管制が降下指示の際"decending to 20,000ft"とか高度を指定していたらパイロットの注意が高度計に向き途中で異常に気付けたかもしれない。HUDについては現物を使ってみた事が無いので分からないが、写真や映像を見る限り慣れるまで大変だろうなと想像がつく。そもそも最初の降下でパワーを絞っていない様だが戦闘機ではそれが普通なのだろうか?米軍機とのセパレーションも十分なので想定外の回避行動で慌てたとも思えない。操縦していた細見三等空佐はF-4のパイロットを勤めたベテランだったとの事。フライバイワイヤを備えたF-2を経験せずにクラシックなアナログF-4から最新デジタル満載F-35へ機種転換したのだとしたら、逆に昔の経験が邪魔をした可能性も有るかもしれない。それにしてもF-35のコックピットやヘルメットのHUDの様子を見るにつけ、もう戦闘機はAIで無人化するとかドローンの様に遠隔操作にした方がいいんじゃないかという気がする。

細見三等空佐のご冥福をお祈りします。

■防衛省が発表した文書の図






■F-35専用ヘルメットのバイザーに写されるHUDの画像
夜間は表示が明るすぎて邪魔だと言われメーカーのRockwell Collinsが改善すると発表したとか・・




■Rockwell Collins ESA Vision SystemsのF-35専用ヘルメットの宣伝映像



航空幕僚監部報道発表資料のリンク
1950 C-170A
2018.03.04
 今まで1970年台かそれ以降のC-172ばかり見て来て正直セスナのデザインはセンスが無くて無粋だなと思っていた。しかしこの1950年式のセスナは違った。丸みを帯びた形状の尾翼、鏡面仕上げの塗装、インパネの計器の配置、スイッチ類の形状などなど、そこかしこに意匠が施され優雅な雰囲気さえ漂っている。計器やスイッチは使いにくそうではあるがとてもオシャレで所有する喜びを満たしてくれそうな気がする。



9.11直後のアメリカのGA
2017.09.12
久しぶりに2001年9月11日の自分のウェブサイトの掲示板の過去ログを読み返してみた。

9月12日MYFへ行きスキャナーでATISを聞いたら通常の気象情報の後に「US全土で軍とレスキュー以外の飛行機は着陸していなければならない」と付け加えられていて、いつも割り込む隙もないSoCALアプローチは沈黙。

9月15日SDMで旅客機が離陸しておりMYFでセスナが離陸していた。ATSIを聞くとさっきまで「全てのGAが禁止」だったのが「Law EnforcementとMedicalを除く全てのVFRフライトが禁止」に変わっておりGAのIFRが再開。きっとフライトの途中で下ろされた機体を返すための対策だったと思われる。しかしXCの途中で帰れなくなった機体のレンタル料はどうなったのか・・・。

9月18日MYFの自分が所属するフライングクラブのオーナーやインストラクターがテレビの取材を受け、犯人のうち二人が同じクラブで訓練していた事を知る。

9月19日MYFのパイロット用品屋にFBIの捜査が入る

9月30日ATISを聞くと「IFR and VFR flight is permitted with restrictions」となったのでFSSに電話すると「You can not fly」と言われた。

10月23日テロ後初めてMYFでT&Gをする。たった6週後に一般人が普通に飛べる様になる。さすがアメリカ!
My First Seaplane
2017.08.20
アリゾナに出張があったのでその後一週間夏休みを取って飛ぶ事にしました。しかし真夏のアリゾナが殺人的な暑さなのは知っていたので、涼しい北の方のシアトルで過ごす事にしました。シアトルは湖水が多くSeaplnaeが盛んなのは聞いていましたが、慣れない事をして事故でも起こしたら嫌だと思い現地に行くまでSeaplaneに乗るつもりは有りませんでした。しかし湖のあちこちで離着水しているSeaplneを見て乗りたくなり結局飛ばしてきました。

Hybrid Airport
2017.08.05
 今回BFRでCFIに教えてもらい初めて知ったのですが、SEAはなんとClass BだけでなくClass Dの要素も持っているのです。VOR SEAの125から140と175から290の間にVORの円と微妙にズレてClass Dの点線があり-30がブラケットで囲まれています。なのでPuget湾上空のClass Bが2,000ft以上や3,000ft以上であっても青い点線の内側を通過する時はSEAのタワーとの交信が必要です。

 VOR SEAの125から真上にClass Dの点線が延びているはずなのですが他の記号や文字で隠れていて見えません。その上VOR SEAの075辺りから左斜め上にClass Dの点線が見えます。こ点線の東側はBFIのAirspaceですが西側はSEA Class DのAirspaceなのです。地元以外の人だと気付かずに侵入してしまう事がよくあるそうです。こんなトリッキーな空港は初めて見ました。

立山 C-172墜落事故
2017.06.04
 昨日北アルプスにセスナが墜落し乗っていた4人が死亡するという事故が起きました。亡くなられた方の冥福を祈ります。事故の報を聞いて最初に「なぜ?」と思いました。機体を所有する新中央航空が運営する飛行クラブは定期便を運行する会社が整備した機体が使える事、経験豊富な教官が同乗してくれる事に魅力を感じ私も入会しました。搭乗者の1人は新中央航空の社員と報じられていましたので、きっと教官同乗だったはず。なのになぜ?自分なりに原因を分析してみました。

 富山空港と松本空港の間には9,000ft級の山脈が南北に走り、低い高度で飛ぶにはかなり迂回が必要になります。立山付近に墜落したという事は迂回をせず山脈を超えるように飛んでいたと考えられます。当時現場は雲に包まれていたようで救助のヘリも地表が黙視出来ない程でしたから、山岳地の手前から墜落するまで雲中飛行となっていたかも知れません。C-172で上れる最大の高度は条件にもよりますが大体12,000ft位です。私の経験では10,000ftを超えるとフルスロットルでもなかなか上昇できなかった記憶があります。9,000ftで巡航していても地表が7,000ftだと見た目の高度は2,000ftしかありません。そこで海抜2,000ftと同じ様に操縦桿を引くとすぐ失速しそうになり飛行機のパフォーマンスが劇的に低下しているのを実感します。そして雲の中を飛ぶと知らないうちに翼の前縁に氷が張り付きます。それが飛行機の重量を増やし翼の揚力も奪います。以前C-172に3人乗ってLAの北の8,000ftくらいの雲の中の山脈を超えようとして、8,000ft位からフルスロットルで目一杯操縦桿を引いても全く上昇しなくなり、諦めて引き返した事がありました。昨日の事故の報を聞いてあの日の事を思い出しました。

 新中央航空なので重量バランスの計算はしていたと思います。教官がいたので悪天候でも飛ぶ資格や条件は合法だったと思います。4人乗ってきっと燃料満タンで雲中の9,000ftの山を越えるのは少し無理があったように思えます。教官は雲の中でなかなか上昇しないのを感じながら、高度計を見れば墜落する危険は読めたはず。それでも引き返せない何か理由があったのだと推測します。私がLAの山を越えられなかった時は、手前の空港に機体を置いて車で迎えに来てもらい帰宅しました。で、関係者が翌日機体を回収しに行きました。日本ではコストを考えるとなかなかそういう事がしにくいのが現状です。やはり日本で飛ぶのは天気の良い日に空港から1〜2時間程度の所を飛ぶのが良さそうです。

啓徳空港の今
2017.05.25


 取引先のオフィスの会議室の窓の景色がすばらしく写真を撮っていて、目の前の工事現場が旧啓徳空港の滑走路だった場所だと気が付いた。現地の子も此処が昔世界で一番着陸が難しい滑走路だったと知らなかった。気が付いてから受け容れるまで少し時間がかかった。無惨に見えて少し悲しい。
苦節2年
2017.01.20


 本日第2種航空身体検査証明書が届きました。これで晴れて日本の空を自分の操縦で飛べる様になれます。丁度二年前の2月に一念発起してJAPAの講習を受けてその夏に操縦士免許の法規を受けて、秋に航空特殊無線の試験を受けて、昨年の春に漸く切り替えの申請をして5回航空局に通って、12月に航空身体検査を受けて今月二回目の脳波を取って、思い立ってから全てが完了するまでに丸二年かかってしまいました。しかし有効期間1年は短いなあ・・。ま、歳だから仕方ないか^_^

 免許も二年しか有効ではないしコストも高いしもう歳だし、日本で飛ぶのは今年一年だけだと思います。でもやっぱり一度は飛んでおきたいからね。
航空身体検査第二種
2017.01.12
 先月日本で飛ぶ為に航空身体検査第2種を受けました。いつもFAAのメディカルを受けている羽田空港の診療所で受けました。初回だけ脳波が必要なのですが羽田空港の診療所には設備が無く、他の検査が終わった後に脳波の検査だけ東京労災病院まで行って受けました。脳波の検査は覚醒状態と睡眠状態両方の波形が必要でしかもステージ2という睡眠が必須です。これは意識が無くなる様な睡眠で2時間ちかく粘りましたが結局眠れず再検査となってしまいました。

 そして本日今度は睡眠薬を貰って再挑戦。一瞬だけ眠りに落ちた様な気がしたのですが前回と同じ感じで隣の部屋で泣いている子供の声が良く聞こえていたので駄目かなと思ったら、その一瞬にステージ2に入ったらしく検査は成功。あとは結果待ち。今年は国内でも少し飛んでみようと思っています。乞うご期待!
Ldg KMYF Rwy28R
2016.10.23


 今年の春にカリフォルニアで飛んだ時の映像です。サンノゼのリードヒルビュー空港を出発し私の古巣サンディエゴのモンゴメリー空港に着陸した時の映像です。管制との交信を聞き返したかったので編集をせず撮ったままでアップしました。1080pで見ると結構キレイです。

 この日は3本ある滑走路のうち2本が工事で閉鎖になっておりATCが忙しくなっていた。タッチダウンのあと指示されたタクシーウェイで滑走路から出る事が出来ず、私の後に続いて着陸してきた機の関係もありかなり遠回りをさせられてしまった。でも久しぶりの空港だったので懐かしく景色を見ながらエプロンまで走れたので返って良かった。
浦島太郎
2016.03.31


アメリカの軽飛行機には30年落ちや40年落ちなどとても古い物が少なく無い。古い機体には何度も転売されている物があり、転売されても登録ナンバーは変わらないので、クロスカントリーで出掛けた先で「昔この機体に乗った事がある」と言われる事が有る。このブルーのストライプに金色の羽ばたく鷲のマークの塗装には見覚えがあった。私がパイロット免許の訓練をしたサンディエゴのモンゴメリーフィールドにアメリカンフライヤーという大手のパイロットスクールがあり、当時この塗装のセスナがエプロンにずらっと並んでいて、いかにもスタンダードの高そうなスクールの雰囲気を醸し出していた。同じカラーリングだがスクール名が無いので似ているな程度にしか思っていなかった。

先日10年ぶりにモンゴメリーフィールドにこの機体で降り立った。初めトランジェント(空港事務所が管理する一時立寄の機体が止める駐機場)に停めてターミナルのメキシカンレストランで食事をしようと思ったが、時間を節約するためGIBBSに移動して給油している間に隣のカフェでランチをする事にした。GIBBSとは駐機場や給油やフライングクラブのオフィスなどのサービスがあるFBOの名前で、車で言うドライブインのようなもの。私はサンディエゴに住んでいた頃にこのGIBBSに屯していたフリーランスのインストラクターに訓練をしてもらいパイロット免許を取った。

私が飛行機から降りると係りの男性が近寄って来て「この機体を知っている」と言った。金色の羽ばたく鷲のマークの話しになり「これはアメリカンフライヤーので、ターミナルビルの近くのスクールのだ、俺がここでトレーニングしていた頃に見た事がある」と言うと「それは随分昔、10年くらい前だろ。アメリカンフライヤーはもう無いよ」と言われた。彼はアメリカンフライヤーで訓練していたらしく、スクールが閉鎖された後この私が乗って来た機体をフェリーしたとの事。こいつは今何処に有るんだ?と言うのでサンノゼのリードヒルビューだと教えてあげた。その後暫く彼とモンゴメリーフィールドの昔話に花を咲かせた。当時GIBBSには5〜6のフライングクラブが事務所を構えていたが今はプラスワン一つしか無い。隣りのモールにあったカフェもメキシカンの店になっていた。そんなすっかり変わったGIBBSで昔を知る人と出会い、懐かしい話をしながら自分がここを根城にしていたのはもう昔の事なのだと思い知らされた。

ここで免許を取ったのが17年前、ここで最後に飛んだのがもう10年前。建物は同じだが中身は昔と違うGIBBSに戻った私はまるで浦島太郎だった。
外国パイロット免許切替
2016.01.30
先日米国のパイロット免許から日本の操縦士免許切替の手続きをしてきました。ネットで色々と調べて準備をしましたが、航空局の窓口に行って初めて分かった事が幾つかあったので書いておきます。

航空経歴書で記入の仕方が分かりにくかった項目
所属:スクールに行った時期はスクールの名前、それ以外は個人と記入。
業務:自家用訓練、計器訓練など。訓練以外は慣熟と記入する。
外国技能証明の資格:自家用操縦士、事業用操縦士など日本の呼び名で記入。
機長/総飛行:総飛行時間からDualとSoloを引いた時間(Pvt訓練中の単独飛行のみをSoloという)
機長/野外飛行:Pvtのチェックライド以降のDualでないXCの合計時間
機長/夜間飛行:Pvtのチェックライド以降のDualでない夜間の合計時間
単独飛行:Pvtチェックラド以前のSoloの時間
野外飛行:全XC合計時間
夜間飛行:全夜間飛行合計時間
同乗教育飛行:実機でCFIから訓練を受けた時間(シミュレータの時間は除く)
計器飛行:フードとIMCの合計時間
270km以上の野外飛行:Pvtチェックライド前の訓練中に飛んだ途中2カ所以上着陸し、合計が270km以上をのXCについて、出発地や目的地の名称は「KMYFモンゴメリーフィールド」などと記入
証明者:自分の名前と印鑑(本来は教官などだが外国免許切替の場合は自分)

国土交通省の要領に記載が無かった必要書類
1. Pvt訓練中の270km以上途中2地点着陸以上のXCで飛んだ経路を記入したチャートのコピー
2. ログブックのPvtのチェックライドが記載されているページのコピー
3. Pvtのチェックライドのログにイグザミナーのサインが無い場合はテンポラリーライセンスのコピー
4. ログブックのPvtチェックライド前で、DualでNightでXCのフライトが記録されたページのコピー

その他
住民票:発行から3ヶ月以内のもの

FAAとJCABではログブックの記入要領が少し違います。なので飛行時間を確認する時にJCABの要領で計算し直す必要が有ります。気をつける点はDualとSoloとPICは重複しないという事。アメリカではSoloもPICと書いたり、Pvt取得後はDualでもPICと書く時がありますがJCABではどれか一つの時間しかつけないそうです。なので航空経歴書に記入する時間は以下の要領で計算し直すします。

1. DualとPICが重複している時間は全てDualのみにする
2. SoloとPICが重複している時間は全てSoloのみにする
3. シミュレータとDualが重複している時間は全てシミュレータのみにする

上記に気をつければ手続きは大分楽になると思います。特に国土交通省の要領に無かった書類については窓口に行くまで知りようが有りませんでした。今回の手続きにあたり国土交通省がインターネットで公開している免許交付申請に必要な書類を記載した要領とログブックの記入要領を参考にしました。そのリンクを貼っておきます。これから手続きをされる方の少しでも役に立てば幸いです。

技能証明申請要領: http://www.mlit.go.jp/common/000209734.pdf
ログブック記入要領: http://www.mlit.go.jp/common/000218171.pdf
電気飛行機
2015.10.16


東京ビッグサイトに展示されていたJAXAが開発した軽飛行機用電気モーターエンジン。これを積んだ試作機は既に飛行しており、欧米では電気モーター搭載機の市販モデルのプロジェクトを進めているベンチャーが幾つも有るそうです。残念ながら日本には電気モーター搭載機を作ろうという会社は無いそうです。

試作機はリチウムイオンバッテリーで飛行可能な時間が20分程度。水素を使った燃料電池の方が重量対出力の効率が良いそうで、今後の水素燃料電池の発達が楽しみです。
調布飛行場Malibu墜落事故
2015.07.27
調布の墜落事故について間違いを恐れずに書くと、Malibuのマニュアルによれば5人乗って燃料満タン120ガロン入れたら荷物が0でも4,600ポンド強となりMaximum Takeoff Weightの4,340ポンドを超過。報道の通り当時気温34度で無風とすれば離陸に必要な滑走距離は約2,400ft、調布の滑走路は約2,600ftなので滑走路を目一杯使ってギリギリ離陸。フジテレビMr.サンデーの動画分析によれば離陸時の速度は時速130kmで約70ktsとなりこれはフラップ20°であればほぼマニュアル通り。映像や目撃証言によればかなり低空飛んでいたらしいので、離陸後十分な揚力を得る前にフラップを0°に戻した為失速したかも知れない。

私が自家用飛行機の免許を取ったサンディエゴの東には砂漠地帯があり真夏の日中は気温40°を超える。そういう砂漠地帯にある小さな空港は標高が高くなくても到着後に気温が上がると空気が薄くなり離陸出来なくなり帰って来れなくなるので気をつけろとインストラクターに言われた。今日はとても暑かったので、調布の事故のニュースを聞いて先ずその言葉を思い出した。
サンノゼ国際空港の上空を通過
2015.07.23


リードヒルビュー空港からパロアルト空港へ、サンノゼ国際空港の上空を通過するのが近道。アメリカでは普通の出来事。
FTD
2015.02.15
JAPA日本航空機操縦士協会のFTD、かなり本格的で見てるだけでもワクワクします。



 
JAL123便の機長はジャンプシートに座っていた?
2014.08.13
昨日からJAL123便の事故原因についてボイスレコーダーの音声を聴いていて色々と考えています。爆発音がしてから墜落するまで一度も機長が自分で操縦をした様子が無い、もしかして機関士がギアとフラップについて提案だけじゃなくて操作もしてたのではないか?キャビンの空気圧で垂直尾翼を吹き飛ばす事ができるのか?昨日のテレビ放送でこれまでネットには落ちていなかった初めて耳にした音声を聴いた。それは爆発音がするよりも前で、客室乗務員が機長に乗客が何処かへ入る許可を取っていた。それを聞いて一つの仮説を考えた。それは何か間違った操作をしてしまい、そのせいで補助エンジンが爆発し垂直尾翼を吹き飛ばしたのではないか?だから機長は爆発音直後に「まずい!」と、まるで何かを予期いしていたかのような言葉を発したのでは?それは普段いないはずの何者かが操縦室にいた為に起きたのでは?そして機長はジャンプシートに座っていたため自分で操縦桿もスロットルも操作出来なかったのでは?もしかして機関士が右席にいたのでは?

ネットに漏洩した音声には意図的に削除された部分があると言われています。昨日初めて聴いた音声も私が10年ほど前にネットで収集したファイルには入っていませんでした。10年前はこの事故の遺族や遺族を支援するウェブサイトや事故を分析したサイトが幾つも有りましたが、今は殆どありません。墜落直前数分のコックピットの音声は、効かない操縦桿を握っているパイロットの気持ちが伝わってきます。米軍のヘリが墜落直後に現場まで行っていたのに何故翌朝まで救助が始まらなかったのか?何故ボイスレコーダーの音声に言葉が聞き取れないほどノイズが乗っているのか?など、事故原因以外にも色々な謎が多く、いつまでも考えさせられます。

- CafeNote -